reboot life
【在庫カラー各1点限り】
【黒】
【青緑】
■モニターの都合上、掲載写真と実際のカラーが異なる場合がございます。
どっしりとした重みのあるどんぶり。ろくろで回したどんぶりは、自然の土で作られた野性味たっぷりです。手触りもゴツゴツとした感じ。どっしりとした雰囲気で存在感があります。煮物を入れる中鉢として使うのもオススメです。黒と青緑の2色から選べます。カタチは同じですが、色合いで全く違う雰囲気を持つどんぶりです。
◇商品詳細◇ ●サイズ:直径約18.0cm 高さ約8.0cm ●素材:陶土 ●仕様:電子レンジ使用可能、食洗機対応 ※直火不可 ●焼き物:上野焼 ●生産地:福岡県・福智町 ●作りて:庚申窯
【注意点】 ■モニターの都合上、掲載写真と実際のカラーが異なる場合がございます。 ■1点1点手づくりなため、釉薬のムラがあり、サイズやデザインが異なります。 ■「ピンホール」とよばれる1ミリほどのへこみが ある場合もございます。ピンホールは、陶器特有の現象であり、不良品ではありません。
【上野焼の歴史と庚申窯(こうしんがま)】
1884年(明治十七年)に十時 器八郎(ととき きはちろう)が作陶から手を引き、上野焼本筋の窯は途絶えてしまいます。 そこで1899年(明治三十二年)地元有志、熊谷 九八郎(くまがい くはちろう)、高鶴 萬吉(こうづる まんきち)らが復興に着手します。田川郡からの補助金をたよりに細々と窯を築き、しばらく製陶に取り組みますが当時は陶作品の購入者は稀で、一度は窯小屋の火災に遭うなど苦労の時代でした。 こうした中、萬吉には子供ができず、ついには製陶から手を引き熊谷だけが残り、窯を存続させました。 1938年に入ると高鶴 萬吉の弟の子鱗作(りんさく)が上野窯復興を思い立ち号を高鶴 城山(こうづる じょうざん) として高田焼(こうだやき)の上野(あがの)兄弟を呼び寄せて着手し、高鶴(こうづる)本窯を築きます。 翌年1939年から製陶を開始しますが、世情は日本事変に入り1941年には第二次世界大戦が始まります。1944年に政府は美術工芸保存の資格認定の許可制を作り、これを切り抜けるも1950年頃までは販売は僅少でした。1955年に高鶴(こうづる)本窯は長男の茂勝(しげかつ)(号は高鶴 夏山)に家督を譲ります。 1971年に城山の末子であった高鶴 智山(こうづる ちざん)が39歳とのときに庚申窯(こうしんがま)を築窯し、翌1972年から営業を始めます。作品の向上を図り特別に薪専用の窯を建設し、昔日の作品に劣らないものを目指し日夜研鑽を重ねています。
上野焼 庚申窯 こうしんがま どんぶり鉢 約18.0cm 選べるカラー2色 ※再入荷の予定はありません koushin-002