◇スペック◇
●サイズ:直径 約9.0cm×高さ 約3.2cm
●素材:陶器
●焼き物:高取焼
●生産地:福岡県・東峰村
●作りて:高取焼宗家 (高取春慶作)
■モニターの都合上、掲載写真と実際のカラーが異なる場合がございます。
黒田節でお馴染みの盃の形をした酒器です。戦国の武将の面影漂うキリッとした形は、日本酒の酒器としてはもちろん、珍味入れなどにもお使いいただけます。
おもてなしの場面で、きっと活躍すること間違いない器です。
高取焼初代八山(はちざん)直系の高取焼の窯元
手間暇かけてこそ伝統の器
成形はろくろで一つひとつ丁寧
手作りならではの唯一無二の作品
原料はたった4つ。「藁灰」「木灰」「長石」「酸化鉄」
どれも自然から成り立つ素材です。
化学的なものは一切使っていません。
お茶を通じて、自分と向き合う贅沢な時間
ファッション的な美しさとは別に“伝統”として受け継がれてきた形。正統に受け継いて?いできた窯だからこそ提供できる“逸品”です。
当家の窯は薪窯です。1点1点が唯一無二の作品となっています。
今回もこの作品は1点ものです。
今から420年前、高取焼宗家いうのは黒田のお殿様の隠し窯、お殿様にしか献上しない「御用窯」でした。
当時茶入というのは、土地と等価であり茶入を制作できる窯元は、財政の要の一つであり重宝されました。
同時に財政の要となる為敵から狙われ易く安易に敵に見つかる場所には、窯を開けなかったのです。
その為、窯を移動させながら敵に見つかりにくく良質な土か?採取て?きる場所を選んで制作していたのです。
そして、小石原鼓という土地に腰を落ちつけ202年の間この地で制作を続けました。
徳川の治世も続き世も平和になった頃、小石原鼓の場所の立地上なにかと不便なので1716年、福岡市内に「東皿山」という新工場(いうなれば二号店)がでてきます。
幕末に至るまで、当家の先祖の高取家の当主たち(九代目清次郎まで)は、半年づつ小石原の本店と市内の二号店(東皿山)をかけ勤めしていました。
また、さらに後1741年「享保の改革」のため財政か?苦しかった黒田藩の新事業として、生活雑器(食器、升徳利、食器、かめ)をつくるための「西皿山」を開窯しました。
その後、廃藩置県により、高取家の小石原鼓の窯元と市内の東皿山は、黒田のお殿様に忠孝を尽くし窯を80年程閉じてしまいました。お家元、黒田のお殿様、各界の数寄者の方々のご尽力により再び火が灯ったのは戦後、1957年のこと。
十一代高取静山により、高取焼は再び高取焼直系の窯元として秘伝書をもとに当時の小石原鼓の場所に窯を築き、現在に至るまで伝統をつなぐことができました。